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東京芸術劇場 芸術監督就任について 漠として生きている高校生の君へ  
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東京芸術劇場、芸術監督就任挨拶

この夏から、芸術劇場の芸術監督という大任を任されることになった。この話をいただいたのは一昨年である。受けたものかどうか、考えた挙句、お引き受けさせていただくことにした。そのためらいの理由と、それでもお引き受けさせてもらった理由とを、ここに正直に書かせてもらうことで、当面の就任へ向けてのご挨拶に代えさせてもらう。

この劇場は、建てられてから18年が経っているが、芸術監督と言いうものが置かれたことがない。
劇場の芸術監督とは、西洋の劇場から導入された制度だ。日本では、まだ確たる定義はないのかもしれない。だが、私が理解する限り芸術監督制とは、その監督の下で、その劇場でどんな芝居が打たれていくかが決められる。自主的に企画し作っていくものもあれば、持ち込まれた企画や芝居から、どんな作品にその劇場を貸すか、そうした劇場の年間を通してのプログラミングをすることで、その劇場の特色をみせる。
つまり、芸術監督によって、その時の劇場の「色」が決まってくる。そう理解している。
もちろん、今までの東京芸術劇場にも、十数年の歴史と共に、「色」はあった。良質なミュージカルを初めとして、海外から芝居がやってきたこともある。だが、演劇の現場に携わってきた我々の率直な印象は、東京芸術劇場の「色」は、大雑把だったと思う。
それはこの劇場が「東京都」のものであるという、公共性を謳い過ぎるあまりに、事勿れ的な公共ホールになってしまったきらいがある。いや、公共ホールとはそういうものだ、「色」など必要がないという考え方もあるだろう。だが、その「色」がないように見える公共ホールと言うものも、それもまた一つの「色」である。それが、大雑把に見えたわけである。私は、芸術監督をお願いされた時点で、東京芸術劇場は、単なる公共ホールではない姿に変わろうとしているのだ、そう理解している。東京芸術劇場は、もうひとつの大きな「公」の観点を持たなくてはならない。そんな時期にきている。おそらく、その「色」を見せることが、私の芸術監督としての仕事だと理解している。
それは、「東京の文化を担う劇場として、何をやってきたか。何をやっているのか。何をやろうとしているか」である。
「東京に住んでいらっしゃる方には、できる限り誰にでもこの劇場を使っていただこう」という「公共ホール」的な色合いとは異にする。
東京とは、こうした文化を育み生み出している都市である。そう発信できる場所の中心に、劇場はなるべきである。
「公」に目を向けながら、突然の「私」事であるが、私が大学生で芝居と出会い、夢中になっていった頃、この東京には芝居を目指す若者の集う場所がない。向かっていく町がない。そう痛感した。勿論、もがき苦しんでいる演劇運動はあったし、やがて、新宿、下北沢、渋谷といった辺りを中心とした、演劇を志す者が上演したがる劇場は、沢山できた。だがそれでも、未だ、そこは劇場街とは呼べない。芝居をやるものが集う場所、そう呼べるには至っていないように思う。どうなれば、そう呼ばれる場所なのか。私も、はっきりと言えるわけでもない。だが、今芝居を作っている若者が、休日の朝から打ち合わせをしようとする時、開店時刻より少し早くても「ああいいよ、その隅っこを使いな」と言ってくれ、あわよくば、「いいよ、今朝はコーヒーは只で」くらいのことを言ってくれる街。…え?そのくらいのことでいいの?そんな安っぽい話?とお思いの方もいらっしゃるかも知れない。だが、文化への理解とは案外そんなことのような気がする。
今、人々は、テレビに出ている有名人に寛容である。レストランは親切であろうし、街行く人の目も優しい。そうした理解(誤解)が、さもしいテレビ文化を生み出し支えてきたのである。その理解の少しばかりでも、絵を描く者や街角でダンスをする者や音楽を紡ぎだすものに向けられれば、街は変わるのである。街が支える文化は変わるのである。それほど、難しいことではないのだ。滅びる滅びると言われて、なおしぶといテレビに向けられている関心の僅かな部分だけでも、周りの文化に誇りを持っていただければいい。
自分のそばで、いいものが作られている、作ろうとしている者がいる。それを誇りに思ってくれる街、場所。自分たちがいる場所で、何かが生まれている。その誇りのようなものが、積もり積もって、文化になる。その誇りが心意気になって「その隅っこを使いな」になる。コーヒーを只にしてくれる。ま、そうした虫のいい話はともかくも、東京が文化を育む、生み出すというのは、そういうことである。まず育み、生み出す土壌をつくるということだ。
そして、劇場の仕事は、そうした劇場のある街が誇りを持てるような作品を作り、生み出し続けることである。 もちろん、そんな作品を生み出し続ける夢のような劇場に様変わりするには、準備期間一年は、あまりにも性急すぎる。
何もかもが、せっかちに決められている日本の演劇の状況を考えると、この芸術監督の話をいただいてから、就任記念事業をするには、あまりにもその準備期間が短かった。大急ぎで、私の知る限りの、国内外の演劇人に声をかけた。
その短い準備期間の中で、何とか「演劇の現場が反映される劇場を作りたい」と言う思いに、心意気で乗っかってくれた演劇人たちによって、いくつかの自主企画をまず打ち始めることになった。 幸いにしてイギリスの友人でもある演出家のエドワード・ホールが自らの劇団プロペラを率いてお祝いにやって来てくれる。また以前仕事をしたタイの役者演出家たちも、近々やって来て芝居をしてくれることになった。
オリジナルミュージカルを長い間作り続け、近年、力のある作品を打ち続け、ミュージカルが得意でない私を感動させてくれている謝珠栄のTSミュージカルファンデーションも定期的に芝居を打ってくれる。
更に、急な申し入れに応えて、いくつかの今、旬と呼ばれている若手演劇人が、秋から冬には勢ぞろいする。
更に更に、松尾スズキ演出の芝居も来年早々に待っている。
私も、及ばずながら、今年の夏、小ホールで芝居を打ち、それから、定期的にこの劇場で芝居を打って行く。
最初の2年ほどは、こうした賑やかな「色」で良いのだと思う。賑やかな「色」が、劇場に人を呼ぶ。これが、始まりだと思う。
大雑把だった「色」を、賑わいの「色」に変える。これだけでも、2年近くはかかると思う。
やがて、その賑わいの「色」の中から、街に集う人々が、この劇場空間に会う特別の「色」を選び出してくれる。そう考える。

野田秀樹


東京芸術劇場 アミューズメントカレンダー 2009 4.5.6より




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