野田地図

日本語/ENGLISH
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THE BEE English Version


『面倒くさいな、そんなことわかっているよ』

同じ間違いを繰り返し犯したとする。それが自分だと「性格なんですかねえ」と言って笑って済ませる。だが、それが他人であると「なんで何回も同じことをやるかなあ」と苛立つ。
どれほど人間は「自分」に優しい動物なのだろう。こういってみた言葉の裏返しはすなわち、どれほど「他人」には厳しい目を持って暮らしているか、ということだ。
おそらく世界中の小学校で「他人には思いやりを持ち優しい心で接しなさい」みたいな言葉が一年中語られていると思う。そして、世界中の小学生が「面倒くさいな、そんなことわかってるよ」とアクビをしてると思う。そして、その小学生は大きくなりやっぱり全然わかっておらず、「自分には優しく、他人に優しくない」まま生きている。
おそらく、一年間に世界中の小学校で発せられている「他人に優しくしなさい」もしくはそれに類する言葉(たとえば、「ぶっちゃダメ」など)をカウントできるならば、そしてその一回分の「他人に優しくしなさい」を煙草ひとケースとして、縦に積んでいったとしたら、お月様に届くのではないだろうか。(ま、何のためにタバコの箱に換算しなくてはいけないのかという問題はおいといて…)
或いはまた、世界中で毎日起こっている夫婦喧嘩のほとんどが「他人に優しくする」ことを実践できないでいるからだ。他人、つまり、夫もしくは妻に優しくできないこと、それが原因で世界中に起こっている夫婦喧嘩での言葉(「死ねば?」など)もしくはそれに類する言葉(「返事くらいしたら」など)その一回を、煙草ひとケースだとすれば、一年たったらどうだろう、やっぱり月まで行けそうだ。(もちろんここでも何故、煙草の箱に換算されなくてはいけないのか、という問題は解決していないが…)
で、この「自分に優しく他人には優しくできない」われわれ人類の習性というのは、おそらくこの世に宗教というものが生まれた頃から変わっていないのだと思う。
つまり、やすやすと他人に優しくできるようなわれわれだったら、宗教は要らない。もちろん哲学も法律もカウンセリングもNPOもやすやすと「他人に優しくできる」ような私たちだったら要らないはずだ。
むしろどうなんだ?われわれは「他人には優しくできない」という方を大前提として暮らした方がいいのではないか?仮に「自分に優しいようには、他人に優しくはできない」としても「自分に優しいようには他人に優しくできない、それが自分というものの正体だ」と思って暮らせば、少しは「他人に優しくできる」ようになる。少なくとも「自分にだけ優しい」人ではなくなるのではないだろうか。

これだけここで「人間の優しさ」というものについて語っているわけだから、これからご覧になる「THE BEE」はどれほど人間に優しい作品なのだろうと想像なされるご仁もいるかもしれない。だが、この作品は「人間の暴力」について描いている。「人間の優しさ」とは、一見無縁だ。
しかし、この作品を思いついたきっかけは、十年ほど前の世界中を震撼させたあの事件であり、以来やむことのない「暴力」の連鎖を見るにつけて思う。「暴力」とは「自分への優しさ」と極めて密接だと。「悲しみの淵にいる自分を理解しようとする自分への優しさ」がいつしか「他人を理解しようとしない不寛容」に姿を変え、やがて「暴力」そのものに形を変える。悲しみの淵にいる「自分への優しさ」だったものが「暴力」という変わり果てた姿で私たちの前に立ち現れる。私は、そのことを表現するために、たばこの箱を月まで積み上げてみようかとも思ったが、それではあまりにも現代アートだ、他人に優しくない表現だ。そこで煙草を積み上げる代わりに、この芝居が出来上がった。誓って言う。この芝居を観終わった後、あなたは絶対に心安らかにはならない。優しい心にもならない。ただ暴力をふるう気にもならないだろう。

野田秀樹