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第47回岸田國士戯曲賞選評(2003年) - ■2002/01/28
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第43回岸田國士戯曲賞選評(1999年)
『贋作・罪と罰』
私は、一メートルの距離で人殺しを見たことがある。
私が芝居を始めたばかりの、大学の構内でのできごとだ。自分の芝居の宣伝のために、私はビラを配っていた。その横で、一人の学生がヘルメットを被り、政治のビラを配っていた。
正確に言うと、二人とも、ビラを配るための準備をしていた。学生がよりたくさん集まってくる、ビラ配りにいい場所、いい時間というのがある。そこで配りたければ、早い時間にそこへ行って場所取りをしなければならない。その場所とは、大学の生協食堂の前であり、その時間とは、昼休みである。私と彼は、芝居と政治というまったく違う目的のために、同じ場所に同じ時間にやってきたのである。まだ昼休みになる少し前、まだ授業時間だったので、そこには、われわれを含めて、三、四人しかいなかった。
わたしと彼とは、その場所でビラを配る人間としては顔見知りだったが、数回言葉を交わした程度であった。彼は革マル派というセクトに属していた。当時は、学生運動が下火になり、それゆえに、その闘争(彼らはそう呼んでいた)に残されたものは、その孤立感からどんどん先鋭的になっていたのだと思う。
彼は政治のビラを手に私は芝居のビラを手に、やがて教室から大量に昼飯を食べにやってくる学生の群れをのどかに待っていた。そこへ、五、六人のヘルメットを被った学生の群れが、一方向から走りこんできた。「足を狙え!」という声が聞こえた。次の瞬間、鉄パイプが、彼の足を一撃した。彼はそこに倒れこみ、すぐさま「頭を狙え!」の声がした。複数の鉄パイプが彼の頭に執拗に振り下ろされ、見る見る彼の頭は変形し、夥しい血、などというありきたりの表現ではすまないほどの血が流れた。ちょうどゆるい坂になっていたその場所は、文字通り血の川となった。三十秒もしなかったのではないだろうか。最後にその殺人者たちのリーダーがなんと言ったか覚えていない。彼らは、蜘蛛の子を散らすようにばらばらに逃げていった。
沈黙だけが残った。その間、わたしは一言の声も発しなかった。発せなかった。次第、次第に学生たちが、その殺人現場の周りに集まってきた。気がつくと、普段乗ることのない生協食堂の屋根の上まで、野次馬でいっぱいになっていた。私は黙ってその場を立ち去った。大学の外でカレーライスを食べた。それからまもなくして、私は大学をやめて芝居に打ち込むことになった。以来、私は、あの人殺しの意味を考える瞬間がある。人殺しに意味などあるはずがないと知りながら、あれはなんだったのか。私の隣で、あっけなく倒れていった青年の死に、まったく意味がなかったと言っていいものかどうか。今でも、迷いながらこの芝居をやっている。












