- ■2012/01/01
新年ご挨拶 - ■2011/11/11
『意味不明の恋』 - ■2011/05/10
南へ - ■2011/05/10
第55回岸田國士戯曲賞選評(2011年) - ■2011/05/10
『井上ひさしが遺したコトバ』 - ■2011/05/10
表に出ろいっ! - ■2011/04/18
第三十二回「蟻地獄の苦しみ」 - ■2011/02/01
第三十一回「動物と戯れる」 - ■2011/01/07
第三十回「泣き上戸、なう。」 - ■2010/12/09
第二十九回「人生相談の法則」 - ■2010/11/05
第二十八回「スイーツ紹介文に突っ込む」 - ■2010/10/06
第二十七回「妖怪ツウカコウカン」 - ■2010/09/08
第二十六回「織姫とサンタ」 - ■2010/08/23
ザ・キャラクター - ■2010/08/09
第二十五回「踏んだり刺したり」 - ■2010/06/01
第二十四回「青かった……」 - ■2010/04/13
第54回岸田國士戯曲賞選評(2010年) - ■2010/04/08
ザ・ダイバー - ■2010/03/05
第二十二回「もらって困るもの」 - ■2010/02/12
第二十一回「原因はクラムジー」 - ■2010/01/13
第二十回「それでこそ披露宴」 - ■2009/12/02
第十九回「幸運の分厚いセーター」 - ■2009/11/02
第十八回「コジマさ〜ん!」 - ■2009/10/06
第十七回「静寂のスリラー」 - ■2009/09/07
第十六回「明日はプール開き」 - ■2009/08/07
第十五回「大卒の男の疑問」 - ■2009/07/09
第十四回「思い出し笑い」 - ■2009/06/04
第十三回「私の都市伝説」 - ■2009/05/01
第十二回「金粉は出るが 智恵子抄はない」 - ■2009/04/03
パイパー - ■2009/04/03
第十一回「日本の便器に隙を見せるな」 - ■2009/04/03
第53回岸田國士戯曲賞選評(2009年) - ■2009/03/13
第十回「人を騙す男と まぼろしの赤道」 - ■2009/02/03
第九回「眠れなくなる『お』話」 - ■2009/01/02
第八回「根拠なき自信こそ人をエンターテナーにする」 - ■2008/11/13
第七回「二十五人前のかつ丼」 - ■2008/10/15
第六回「股間に関わる問題」 - ■2008/09/16
第五回「スポーツは筋書きだらけ、だよ」 - ■2008/07/03
第四回「危ないロンドンの地下鉄」 - ■2008/06/30
賄いムービー - ■2008/05/08
第三回 あなたは『おぎゃあ』派ですか? - ■2008/05/01
第二回 増上寺の入れ歯 - ■2008/04/17
第一回 鶏の首の気持ちで - ■2008/04/16
2000年/テアトロ11月号より - ■2008/04/16
向こう岸に行った人々 基本に戻ってノストラダムスの巻 - ■2008/04/16
「おとなぴあ 2000年4月号」より - ■2008/04/10
第52回岸田國士戯曲賞選評(2008年) - ■2007/12/07
『キル』 - ■2007/06/27
『THE BEE』 - ■2007/01/29
第51回岸田國士戯曲賞選評(2007年) - ■2006/01/30
第50回岸田國士戯曲賞選評(2006年) - ■2005/12/06
『贋作・罪と罰』 - ■2005/05/01
『野田版 研辰の討たれ』 再演 - ■2005/01/31
第49回岸田國士戯曲賞選評(2005年) - ■2004/12/03
『走れメルス』 - ■2004/08/01
『赤鬼』 - ■2004/03/01
『透明人間の蒸気』 - ■2004/01/26
第48回岸田國士戯曲賞選評(2004年) - ■2003/08/01
『野田版 鼠小僧』 - ■2003/01/27
第47回岸田國士戯曲賞選評(2003年) - ■2002/01/28
第46回岸田國士戯曲賞選評(2002年) - ■2001/08/01
『野田版 研辰の討たれ』 - ■2001/06/01
『贋作桜の森の満開の下』 - ■2001/02/03
『2001人芝居』 - ■2001/01/29
第45回岸田國士戯曲賞選評(2001年) - ■2000/09/08
『農業少女』韓国公演 - ■2000/01/31
第44回岸田國士戯曲賞選評(2000年) - ■1999/01/25
第43回岸田國士戯曲賞選評(1999年)
2000年/テアトロ11月号より
これから芝居の本番があって、その劇場入りをする前の二時間を使ってこの文章を書こうとしている。 たった二時間で、演劇の未来を考えてしまおうということ自体が、まず図々しい。笑える。でもやる。 例えば今、僕はこれをパソコンのワープロ機能を使って書いている。そしてメールを使って送ろうとしている。ちょっと前ならばファックスだったろう。 僕が芝居を始めた頃にはそんなことはできなかった。手書きして、それから清書して、編集者の人に電話を入れて、会う場所を決めて、というわけで、とても二時間では無理だった。 そういう意味では変わった。 だが、技術がどんなに変わっても、今僕が何を書こうとしているか、そのことに関しては新しさはない。手で書こうが、パソコンで書こうが同じだ。「何をいかに書くか」それは、いつも変わらない。 そう断言したい。だができない。 厄介なのは、はっきりとそう言いきれないところだ。確かにこのパソコンというかワープロというかこの新しい技術は、全く僕の書くものに影響を与えていないわけではない。 例えば、漢字を書きながら、脳に与えるインスピレーションの機会を僕から奪い取っていたりする。 技術は知らず人間の根元的な営みにさえ影響を与える。恋愛を例に取ろう。手紙という技術が、一世を風靡した時代と、今のような電話の時代と、恋愛の形を変えてしまっている。今の恋愛は手紙のように待つことを知らず、こらえ性がない。どっちが良いとか、悪いとかではない。技術は恋愛の形を変え人の心にさえ影響を与えている。 だがまた、同時に技術がどれだけ新しくても人間の営みの変わりにくい部分があるのも事実だ。どんなに新しい技術がでても、恋愛における恋人達の嫉妬心が消えることはないだろう。手紙の時代も、電話の時代も、恋人達は愚かに嫉妬し続けてきた。 芝居がこれから立ち会っていく新しさ、これについても全く同じだ。新しい技術の洗礼を受けて、確実に演劇は変わる。と同時に変わらないものもある。 これから次々と芝居小屋にも訪れる新しい技術は、芝居のスタイルを間違えなく変えていく。いや、変えるというよりも、単純に想像するだけでも、音楽と光を駆使したパフォーマンスに近いスタイルが、もっともっと増えてくるだろうし、それを「演劇と呼ぶかどうか」などという議論は邪道だろう。 元々、古典劇と新しい劇は、同じ演劇のジャンルでくくられているけれども、そんなことどうでもいいじゃないってほど、かけ離れている。どちらが演劇的に正しいなどということはない。その芝居が生まれたときの技術の中で出来あがったスタイルの違いに過ぎない。それだけのことだ。 私の劇場入りが一時間後に近づいてきたので、大ざっぱなことを言ってのけるが、演劇は詩(セリフ)と肉体という二本柱を持っていて、ここはなかなか揺らぎにくい。観客がいつも感動するのは、この二本柱であり、これはなかなか未来の技術に屈するものではない。 とくに人間の肉体は、怠けやすく疲れやすく老いやすいので、とても厄介だがそれ故に、技術によってそうそう変わるものではない。新しめのパフォーマンスが現れても、結局その質の高さは音楽や光ではなくて、その中のパフォーマーの肉体の質の高さで決まってくる。その意味では、能と違いはない。 粗っぽく考えて、これからの技術と時代が影響を与えるとすれば、演劇の持っている詩(セリフ)の側面の方ではないだろうか。しかももうそれは始まっていると思う。芝居は元々、日本語を使っていながら、肉体というインターナショナルな側面を持っているから、国内にとどまりきれない。かといって、国外で日本の芝居をやっていこうとすると、日本語が障碍になることを改めて知る。面白く美しい日本語は、外に向かう時、大きな壁となる。だがそれは仕方がない。違ってこそ文化なのだ。そうは分かっていながらもなかなかのジレンマだ。 今、僕がぶち当たっているのは、その辺りだ。去年、今年と国外の演出家、役者と新作を作ろうと思い、向こうでワークショップを始めた。あまり、演劇の未来などを考えたことはないが、そうしたものと関係している近頃の僕の活動があるとすれば、そんな所でしょうか。簡単なことではないのは百も承知だけれど、もうしばらく、そこら辺りをうろついておきます。結果は作品としてしか現れないから、もうちょっと後のことですね。
2000年/テアトロ11月号より












