野田地図

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コラム

『野田版 鼠小僧』


私は、と言うか、私も、テレビドラマを見る時、突っ込みを入れながら見るタイプの人間である。(たまにしか見ないと言う事実はおいといて………)

「そんな奴はいねえ」とか、「ありえなーい」とか言ってる。
「そろそろくるね」などとも言う。何がくるのだか分からないが、なにか、ドラマの波みたいなものが、しかもそれほど面白くもない波が、そろそろ押し寄せてくるのを、沈没する船に乗っている鼠のように感じてしまう。 そして、見終わった後、必ず「つまんなかったあ」という。

無責任であり、否定的である。ざまーみろ、でさえある。 これは、多分、テレビドラマを只で見ているという事実に起因している。つまらないことを承知で見てたのさ、だってどうせ只だもの。なのである。 この視聴者がテレビの前の大部分である限り、度肝を抜く面白いものなどできるはずがないのだ。  

そこで、歌舞伎だ。 二年前に初めて歌舞伎の脚本、演出をやった時、観客席にいながら観客席が揺れるようにわくわくしているのを感じた。 もちろん、これだけの高い入場を払っているのだ。期待するのは当たり前だ。だが、料金に関しては別の所で議論していただくとして、兎も角、二年前の夏、歌舞伎座の観客席で、わたしは感じた。

この観客席には、歌舞伎という表現形態を信じている人々がまだこんなにもいるのだ。それは、芝居をつくる側の人間にとって、とても大きいことだ。大きな力だ。 はなから、つまらないと思っている視聴者の目の前で演じるのと、わくわくしようとしている観客の目の前で演じるのは雲泥の差である。

そして、面白がろうとする観客は必ず得をする。役者は生ものだ。早い話が、お調子者だ。乗せてしまえば、上がらない足まで上がるのだ。もっと上がるのだ。上がれば芝居はもっと面白くなる。かくて、相乗効果で、今目の前で見ている芝居が面白くなっていく。  

「面白いと期待される」芝居、「面白いに決まっている」芝居を作り続けることは、結構大変である。うぬぼれて言えば、この『鼠小僧』は面白いに決まっていると期待されている芝居だろう。役者共々作る人間はプレッシャーを感じている。とりわけ中村勘九郎は、ああ見えて自信がない役者だ、開演前にはびびっているに違いない。だが、「どうせつまらないに決まっている」と思っている観客の前で演じることに比べれば、「面白いに決まっている」と思う大向こうが待っているというのは、なんと言う幸福であろう。

また、三度、歌舞伎座で面白い芝居を作りたいが為に、この二度目も熱い歌舞伎座にしたい。切に思う。二度あることしか三度ないのだ。