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『野田版 研辰の討たれ』 再演
『夜泣きする中村勘三郎』
旅から帰った家の中で、聞きなれない物音がした。買ったばかりの空気清浄機が、ブンブン音を立てていた。真っ赤なランプとか、黄色いランプとか緑のランプが点滅しては、「ホコリ」が凄いぞ~とか「ニオイ」もけっこうねえ~とか言っている。私が歩くたびに、空気清浄機はぶんぶん言い続けた。「ホコリ」立ってるぞ~、しかもレベル4だぞ~とチカチカしていた。
私が歩くだけで、ホコリがたつという、その事実を、レベル3になったり、4になったりしながら、ビジュアルとして知らされると、なんだかこれは結構大変なことだぞ、という 気分にさせられる。
私は、窓を開けた。そして、新しい風を部屋に入れた。
それでもなかなか静まらないそのブンブン音は、明日早朝から働かなければならない日に限って聞こえてくる深夜の赤ん坊の泣き声のようだ。
なるほど、赤ん坊の泣き声というのは、元々、空気清浄機の代わりをしていたのかもしれない。赤ん坊という新しい生命体が、濁った空気を察知しては、「この部屋に新しい風を入れろ」とぎゃあぎゃあ言っているのだ。
勘三郎襲名前の中村勘九郎は、そうした夜泣きする赤ん坊だった。というのは、いささか強引な導入だろうか、どうだろう?(って、これを読んでいる人に聞くものもどうだろう)
わたしは、何十年も夜泣きし続けた中村勘九郎によって、さまざまな新しい風が、歌舞伎の世界に吹いたと思っている。2001年に上演された『研辰の討たれ』も、紛れもなくその新しい風の一陣だった、と自負する。
だが厄介なのは、部屋の中に入り込んだ風は、必ず濁るということだ。新しい風も必ず濁る。ちょいと旅に行っている間にも、わたしの部屋などこのざまである。空気清浄機がブンブン、チカチカである。
新しい風を入れたつもりでも、あっという間に、新しくなどなくなる。新しさなど、たかだかそれだけのことである。新しいなどということに、有頂天になっていると、あっという間にそれは、古く汚れたものに変わっていく。
だが、中村勘三郎は、そのことを熟知している。一番そのことを恐れている役者である。
だからこそ、彼はこの『研辰の討たれ』の再演を、勘三郎襲名公演の一演目に選んだのだと思う。ただの再演に終わらせず、再演するからには、また新たな風になるようにと、今現在生きている作家の芝居を襲名披露公演に持ってくるという、ありえなかったことをやって見せようとしている。その中村勘三郎の、空気清浄機としての才覚、夜泣きする赤ん坊としての泣きっぷりに私は感服してしまう。
だから私も、「再演である以上同じことをする。だが、けっして初演をなぞらない」この当たり前のことであるがゆえに、難しいことに挑んでみようと思う。
伝統とまで呼ばれるようになった歌舞伎は「けっして初演をなぞらない再演」を行ないつづけることで、その半分が出来上がってきたのだと思う。
とりあえず、初演の『研辰の討たれ』は、新しい風たりえた。だが、この再演も、窓を開けた時に、さっと吹き込んでくる心地よい風に感じられなければ、歌舞伎の演目の仲間入りをすることは出来ないのである。
そう自戒して再演に臨んでいる。そして中村勘三郎も同じ心持であると信じている。












