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ザ・ダイバー
『あなたは誰か?』と聞かれて…
人間は、自分のことを自分で決めて生きているように思いこんでいるが、案外そうでもない。その最たるものに、自分の「名前」というのがある。「名前」が面倒くさいのは、「名前」は言葉であり、イメージを持っている。物心ついた頃には、逃れがたく、そう呼ばれている。しみついたイメージのまま呼ばれ続ける。しかもほとんどの場合、親とかその周辺にいる人間が決めてしまうのである。気がついた時には手遅れである。そりゃないよ。と思っても、そう呼ばれている。最初からそう呼ばれるとわかっていたなら、絶対、家を飛び出してでも反対したのに、みたいな名前でも、どうしようもない。いくつかここで、具体的に、絶対家を飛び出したくなる名前を挙げてみたいが、実際に、その名前の方が、この芝居を見ていたりして、しかも、実は、そんなにその名前のことを気にせず生きていて、改めて今ここで意識させられ、この後、一生の傷として残ることになったりしてはいけないので、やめておく。だが、何か例をあげなくてはいけない。そこで、失礼ながら故人の話をする。(友人だったので許せ)「如月小春」と「伊藤正子」と耳にして、何をどう思うだろう。実は、今は故人になってしまった、その「如月小春」という舞台演出家の本名は「伊藤正子」であった。「如月小春」と「伊藤正子」では全然違う。おそらく彼女は、芝居という他人さまを騙すような仕事をしながら、いつまでも「伊藤正子」ではいられない。そういう気持ちだったのだろう。「伊藤正子」という本名のまま仕事をしていたなら、彼女の仕事っぷりは変わっていただろうか。こればっかりは分からない。(くれぐれも言っておく「伊藤正子」という名前は、家を飛び出したくなる名前ではない。ただ、新進気鋭の舞台演出家にとっては、どうだ?という感じだったのだろう)
普通は、滅多にそこまで大胆に改名などできないものである。改名するとしても、恐る恐るである。例えば、「高都幸雄」が「高都幸男」に変わるくらいである。五、六年して気がついたりする。「え?なんで変えたの?」「…いろいろあったから」ま、本人が納得しているんだからいいか、みたいな感じである。しかも音に出しての響きは変わっていない。字面だけの問題である。かなり姑息なやり口だ。詐欺に近い。改名詐欺だ。だが、本人は何か変わった気がしているに違いない。(詐欺とまで言うかね、ホントにもう…これも友人ということでひとつ)
苗字だけの話ならば、結婚してから姓が変わる。という、大きな問題がある。一般的には、まず愛が先行して、気がついたら名字が変わるわけだが、中学生の恋のように、結婚して姓が変わった時の自分のフルネイムを書いてみて、意外にパッとしないので、その恋をやめてしまうなんて言うことが、人間心理の水面下では起こっているのかもしれない。
「あなたは誰か?」と聞かれて、我々は、あまりにも迷いなく自分の名前を答えるが、実はその名前は、自分が選んだものではない。自分が誰か?は、自分が選んではいない。その事実を思うと、人間のアイデンティティというのは、まことに危うい。
野田秀樹












