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第50回岸田國士戯曲賞選評(2006年)


『演劇的か、それとも、そんなことはどうでもいいのか、それが問題だ』

私は、前田司郎氏の『キャベツの類』と長塚圭史氏の『LAST SHOW ラストショウ』を推した。
『キャベツの類』は、とぼけた味が秀逸である。使われているイメージはまことに演劇的である。直接には神を最後まで名乗らずに、神話の世界が構築されている。空間と役者の肉体を意識した台詞が巧妙である。戯画的笑いを羅列するハヤリの作風に阿ることなく、演劇ができることの面白さを知っている作家である。「記憶」の扱い方が安易だったことが、他の選考委員の反対理由になった。私は、そこに目を瞑ってもこの作品は受賞に値するものだったと今でも思っている。
『LAST SHOW ラストショウ』は、そういう意味でハヤリの作風ということになるのかもしれない。乱暴な言い方をすれば、漫画の噴出しのような台詞である。だが、というべきか、だからというべきか、光る台詞が多い、そして上手い。構成的にも、出現した《父》の妊婦への暴力はドキッとさせられた。私は、この作家が、今時の日本では、切実な姿として語られない《切実な父》というものを、切実に語り続けようとするその姿勢を買う。
受賞作の三浦大輔氏の『愛の渦』は、一番すんなりと興味深く読み続けることができた。台詞は面白い。構成的にも破綻が無い。だが私は、このスキャンダラスであり続けることだけで、人間の興味を惹くというスタイルに、ちょっとだけ、まだ考えさせてくれという思いが強い。スキャンダラスなものというのは、演劇が持つ一つの属性には違いない。だがテレビや昨今のインターネットが生み出している性風俗を中心としたスキャンダライゼイションは、われわれが今失敗しようとしている大消費文化の一環に過ぎないのではないか。タブーを犯しているように見えて一番安全な社会との距離のとり方のように私には見えるのだ。五年前なら、真っ先にこの作品を推した気がする。だが今は、私の判断にご猶予をいただきたい。受賞そのものには反対しない。
もう一本の受賞作、佃典彦氏の『ぬけがら』は、始まりのイメージはすばらしかった。ぬけがらの《父親》が舞台にあふれている。演劇的である。それだけで詩である。ただ、このイメージだけで最後まで引っ張っていくには、あまりに弱い。この作家にとって、《戦争》や《父》はどのくらい切実なものなのだろう。最後、ヘアピンの奇跡という言葉で、生き残った特攻隊員を語るところに、私は安易さを感じる。ヘアピンというモノに、作品の最後の一点を賭けたのだとしたら、作家はその《ヘアピン》に徹底的にこだわるものではないのか。あまりにも唐突で説明的に出現している。そこが、私の不満である。演劇的に。