野田地図

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第43回岸田國士戯曲賞選評(1999年)


正直で、クレバーな作品

ケラリーノ・サンドロヴィッチ氏の『フローズン・ビーチ』これが一番面白かった。
今のむかつくという気分に、あっけらかんと正直であり、なおクレバーな作品である。特に前半が優れている。市子というキャラクターはこれまでの日本の戯曲のなかには出てきたことのない新しい狂人である。狂人の発明は、それだけで才能に値する。作品全体にも、その市子的な空気が支配している。殺意に満ち溢れているのに、結局最後までたった一つの事故死があるだけで誰も殺されはしない。そこが今の日本の、そこら中にみなぎる「くそっ、死ね!」とか「殺す!」といったコトバの気分を代表するもので面白かった。二年前の松尾スズキの作品のような疾走感はないが、現場で演劇に向き合っている戯曲だと感じた。これを推した。
内藤裕敬氏の『手の中の林檎』も面白かった。
「バブル」がはじけて日本人のとった態度、誰かが何とかしてくれるだろう、悪いのは俺じゃないといった気分、その責任を他者に先送りしていく日本人の体質がとてもよく書けている。しかも物語を進めていく道具立ては、二日酔いとコーヒー豆だけである。それでいてこれだけ引っぱれる面白さ。惜しむらくは最後だ。「日の本」などというコトバを出した辺りから、ちゃちくなった。
長谷川裕久氏の『花冠の大陸』は、途中から力業で結構引っぱってくれる。近頃流行の安易で決して破綻しない作りのものからすると、ああこれが戯曲というものなのだ。その力なのだ。と少しばかり嬉しくさせてくれた。いい台詞も一杯あるのだけれど、構成同様まわりっくどさ、過ぎる説明、資料の使い方の安易さが、もうひとつだった。
鐘下辰男氏の『貪りと瞋りと愚かさと』
この人のはいつ読んでもとてもイヤーな感じになる。いつもじぶんを正しい所に置いて、他人をやっつける。ニュースステーションのようで私はダメだ。エリートはすべてしょうもない奴、日本兵はすべて悪い奴、常にステレオタイプだ。「ベトコンを扱う米兵のように」という要らぬ形容の卜書きに作家の創作の姿勢が現れている。
岩崎正裕氏の『それを夢と知らない』と土田英生氏の『きゅうりの花』この二作は続けて読んでも、人物が繋がって見える。その事からも、近頃流行、このところ毎年現れる作風であることが分かる。テープレコーダーを日常のどこかに置いて再現すれば彼らの書かんとするものはできるのではないかと勘繰ってしまう。
「戯曲は文学」そう考えるのはよろしいけれども、そこに安住してただ、だらだらと書くのはちょっと違う。制限された舞台の時間や空間を意識した方が、つまり戯曲の外部を意識した方が面白いものができる。
すべての謎が、すぐ目の前で明かされてしまうので、物語が奥へ入っていかない。
土田氏の作品は「嘘つきではない」と感じさせる確かさもあるし、品性とでも呼べばいいのか、そういうモノは感じる。それでも、テレビの脚本と戯曲の中間だ。大げさに書けというのではない。ただ「劇的」ということに意識がないというか、興味を失してしまっている。そんな作家の一群に思われる。