「劇場の灯を消してはいけない」
「劇場の灯を消してはいけない」
~この東北関東大震災の事態に上演続行を決定した理由〜
15日より『南へ』公演の上演再開にあたり、野田秀樹が劇場にてご挨拶させて頂きました全文を掲載致します。
今日ここに足を運んでくださった皆様に心から感謝をいたします。
今なお罹災地で苦しみ、これからの復興までの長い時間を考え、途方に暮れている罹災者の方の心中は察するに余りあります。一日も早い復興を衷心よりお祈り申し上げます。
劇場の安全確認の点検を含めて、四日間、劇場の灯を消しました。私は、その間、本当に居心地悪く暮らしました。日頃「蝋燭一本があれば、どんな時でもやれる。それが演劇だ」と言っていたからです。現実にはその蝋燭一本も危険だと思いこみ、自分の首をしめるような自主規制下におかれている気がします。何に煽られているのかは知りませんが、とにかく煽られています。無論たくさんの危険がまだ存在していることは分かります。その存在する危険の前で私たちは無力です。だが、今現在、東京は、罹災地と罹災した人々をこれから粘り強く支援をしなければならない立場のはずです。にも拘らず、連日の過剰なマスコミの報道に煽られたかのように、コンビニの食料品を買い漁り始めたりもしています。私も例外ではありません。水を買いに行きました。スーパーの棚に殆どものがありませんでした。わたしは、買い漁った人々を責めようとは思いません。人間とはそういうものです。こういう時に、「ココロ」を忘れてしまう。が同時に、人間には、その忘れた「ココロ」を取り戻そうとする「ココロ」もあります。
この自分の首をしめる自主規制のような事態は、のちのちの社会や文化に窮屈で不自由な爪痕を残します。つまり「こういう事態が起こっている時に、音楽や美術や演劇などをやり続けるなどもっての外だ!」という考えが蔓延することです。そういう強弁を発する人は、いつも守られたところにいます。
だが、音楽や美術や演劇が不自由になった時代がどれだけ人間にとって不幸な時代であったか、それは誰もが知っていることです。
私は何も、劇場にだけ電気を使わせろと言っているのではありません。ただ、劇場で守る「ココロ」というのは、人間の営みに欠かせないものであると申し上げたい。日常の営みを消し