『井上ひさしが遺したコトバ』
今回の大震災で、私は劇場を四日間閉め公演を中止した。そして3月15日に再開を始める時、大いに悩んだ。周囲から聞こえてくるのは、圧倒的にこのまま公演を中止するべきとの声であった。公共劇場や大きな劇場が次々に公演中止を決め、さらに新劇の大御所の役者さんの公演中止声明文が発表され、概ね、演劇界の動きは、自主的に公演中止するという流れに傾いていた。
その大いに悩んでいる時に、私の頭に浮かんだのが、井上さんが今この問題に直面していたらどういう結論を出すだろう、という考えだった。
井上さんが亡くなられた時に、安らかにお眠りくださいなどと言っておきながら、こんな時に引っ張り出して、井上さんも安らかになど眠れようもない。実際、井上さんがなくなってから、「井上ひさしが生きていたら…」という場に直面がすることが多く、改めて井上さんを失ったことの大きさを感じている。最も偉大な劇作家を失ったわけだから、わたしの喪失感は当然なのだが、日本の演劇をいつも見渡してくれていた演劇人がいなくなったこと、そのことも実に大きなことだ。
わたしは、結局、公演の続行を決断し、こうした折に上演をする理由を私なりに意見として観客に向かって述べた。その原稿を考えていた時、ふと「井上ひさしが生きていたならば…」というコトバを使いそうになった。が、やめた。実際には、井上さんが御存命であれば、どう考えていたか?など、分かるわけがないし、自分の考えを通すために、安らかに眠っていられる方の名前を勝手に拝借してはいけない。
そして、劇場を再開した日の、その公演が終わった。偶然、井上さんの御令嬢の麻矢さんが見にいらしてくださった。そして、終演後の楽屋で、この話をしたら、「父は、『9・11の時にニューヨーク市長が、真っ先にブロードウェイの劇場の灯をともす、と言ったことをとても素敵なことだね』と言っていたんです。だから、きっと父も、劇場を一刻も早く開くことに賛成していたと思います」
井上ひさしは、もうここにはいないが、井上ひさしの遺したコトバに私は救われた気がした。
野田秀樹 「日本劇作家協会会報誌」より












