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第52回岸田國士戯曲賞選評(2008年)
平凡より非凡がC'EST BON
受賞した前田司郎氏は、去年、一昨年と三年続けていいものを書いている。何よりもこの作家が非凡なのは、とぼけているところだ。
題名の『生きてるものはいないのか』と言いたくなる様な、一群の情けない若者達が、大学病院という沢山の「死」=「この世の終わり」がある場所で、他者の「死」に鈍感に生きている。が、その若者達に外部からまことに不条理な形で自分の「死」が近づいてくる。それが、どういうことで、どういうものなのかもわからないでいる。自分の「死」にさえも、鈍感なまま次々と、とぼけた風に死んでいく。そして、本当に『生きてるものはいないのか』という事態が起こる。題名は、ダブルミーニングになって「この世の終わり」として還ってくる。ポスト・アポカリプティックな(ポスト黙示録的)作品である。そのイメージは、さながら自分の尻尾を自分で食べている蛇だ。
前田氏の一昨年の作品は、言葉だけでそのウロボロスの蛇を出してきたと記憶する。今回は、それを見事にイメージ化することに成功している。そして人々を深刻に死んではいかせない姿は、この作家のとぼけの真骨頂である。非凡なとぼけ方である。
この作品を、一番に推した。受賞おめでとう。
赤堀雅秋氏の『その夜の侍』も面白かった。
この作品をよく見せる仕掛けは、黒澤明の『七人の侍』の百姓のイメージを喚起させることにある。
雨の日の決闘もそうであろうし、「暴力」に対峙する「平凡」という言葉も、それが、あの百姓のイメージなのだろう。ただ、この作家の言う「命がけで守ろうとする平凡」は、あの百姓たちが命がけで守ろうとした「平凡」にまで行き着いているのだろうか。そうでなければ、ただ「平凡」を正論にしようとする、近頃の一群の作家たち同様、作家なんかやめて、その他愛ない平凡とともに日常に埋没していろと毒づきたくなる。むしろ、この作家が「非凡」なのは、いつも「怖いやつ」がでてくるところだ。そして、恐怖は怖がる奴によって作られるという、人間の「恐怖心」の生態をまざまざと、この作家ならではという見事な筆致で描いてみせる。そこが優れているだけに、その「怖いやつ」が最後の最後で腰砕けになったのが惜しい。まことに惜しい作品だ。












